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大阪地方裁判所 昭和39年(ワ)6395号 判決 1967年6月12日

参加人 竹長梅生

右訴訟代理人弁護士 佐藤恭也

同 赤木文生

原告(脱退) 首藤六平

被告 旭タンカー株式会社

右代表者代表取締役 立石信吉

右訴訟代理人弁護士 清水尚芳

主文

一、被告は参加人に対し金三、九四五、六〇〇円およびこれに対する昭和三八年四月一八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、参加人のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は全部被告の負担とする。

四、この判決の第一項は参加人において仮り執行することができる。

五、但し、被告において金二、八〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

第一、本訴申立

「被告は、参加人に対し金四、二二五、六〇〇円およびこれに対する昭和三八年四月一八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決。

第二、争いのない事実

一、本件船舶衝突事故発生

とき  昭和三八年四月一八日午前零時四二分ごろ

ところ 愛媛県松山市地先、釣島水道内(野忽那島灯台からおよそ南八四度東一・五海里の地点)

事故船 機船~第一二良有丸(被告所有、以下被告船という)

態様  脱退原告所有の第一〇大宝丸(総数九二、以下原告船という)は、前記日時、濃霧の中を右釣島水道を航行中、被告船に衝突され右地点において沈没し、再用不能となった。当時、被告船においては船長自からは操船しておらず、甲板長たる古川輝哉が操船していた。

二、原告船の運航上の過失

原告船の船長竹長七之助には、当時濃霧中であるのに海上衝突予防法一五条三項一号所定の成規の間隔(二分間をこえない間隔)で霧中信号を吹鳴せず、かつ、他船との衝突の危険の有無を確しかめることなく変針した点に過失があり、右過失も本件衝突の一因となっている。

第三、争点

(参加人)

一、本件衝突までの両船の運航状況

(一)  被告船は昭和三八年四月一七日午後関門港下関区を発し岡山県水島に向け航行中、同日午後八時ホージロ灯台沖に達したころ、当時霧模様であったので同船船長志摩直文は一等航海士和田正に対し霧が濃くなったら知らせるように指示したのみで、狭隘な釣島水島において自ら船橋にあって指揮をとることができるよう指示することなく自室に退き休息した。

同一一時五七分釣島灯台を右舷側に〇・五海里ばかり隔てて通過し針路を北東微東二分の一東に転じたころ、海技免状を有せず無資格者たる甲板長古川輝哉は、前任者である和田一等航海士から霧が深くなったら船長に知らせるよう引継ぎを受けて運航の任につき、爾後同じ針路で機関を一時間九海里ばかりの全速力にかけて進航し、翌一八日午前零時七分ごろ、針路を北東微東に転針した。

その後、同時二〇分ごろ、濃霧となり視界が悪くなったので古川甲板長は機関用意を令したが、その旨を船長に知らせることなく成規の霧中信号を行わないで全速力のままで進航し、同時三〇分北東微東二分の一東の原針路に戻し同時三五分ごろ安芸灘南航路第一号灯浮標を左舷側六ないし七〇〇メートルに通過し北東微北に転針したが同時三八分ごろ視界が著しく狭められたので機関を一時間五海里ばかりの半速力に減じ針路を北東二分の一北とし汽笛をもって長音一回を吹鳴したが、その後成規の霧中信号を行わずまた依然船長に知らせることもなく続航中、衝突の少し前、左舷前方至近距離に原告船の航海灯を認め右舵一杯機関後進全速を令したがおよばず被告船の船首が原告船の右舷前部に激突した。

(二)  一方、原告船は、同月一七日正午大分県臼杵から岡山に向けて出航、翌一八日午前零時二〇分ごろ前記安芸灘南航路第一号灯浮標を左舷側に七〇〇メートル隔てて並航し、ほぼ北東微北に転針したころ、間もなく濃霧となり視界が著しく狭められたので、同船船長竹長七之助は機関を一時間二ないし三海里の微速力に減じ霧中信号を吹鳴しながら(規定どおりの間隔ではないが)成規の航海灯を掲げて続行し、同時四二分少し前航路筋のできるだけ右側に寄るつもりで右転したとき、右舷後方至近距離に被告船の航海灯を認め急ぎ左舵をとりかけたが効なく同船に衝突され大破して沈没した。

二、被告船の運航上の過失

被告船にはその運航上左の如き重大な過失があり、これが本件衝突事故発生の決定的原因である。

(一)  被告船には、狭水道であるうえ濃霧のため展望のきかない前記釣島水道内においては成規の間隔で霧中信号を行わず(海上衝突予防法一五条三項一号違反)かつ、一時間約五海里の半速に減じたのみの著しく過大な速度(同法一六条一項違反)で進航した過失があり、当時同船の操船にあたっていた甲板長古川輝哉は海技免状を有しない無資格者であるにも拘らず濃霧中の狭水道を見張員を配置せず充分な見張もしないでほしいままに操船し右の如き重大な過失を犯した。

(二)  被告船船長志摩直文は、右釣島水道の如き狭い水道においてしかも濃霧のため展望不良となったときには必ず自ら船橋にあって操船の指揮をとるべきであるのに(船員法一〇条)、これに怠り、無資格者たる右古川に操船せしめていた。

三、双方の過失割合

参加人は、原告船にも前述の如き過失があったことは否定しないが、被告船の過失は右二のとおりで無暴操船といっても過言でなく原告船の過失とは比較にならない重大なものであり、これが本件衝突の決定的原因であることは云うまでもない。その本件事故に対する原因力および反社会性の度合に照らせば、両船の過失割合は被告船十分の八、原告船十分の二と評価するのが相当である。

なお、被告は本件衝突につき昭和三九年八月三一日広島海難審判所において両船船長ともに戒告の裁判(以下、本件裁決という)がなされていることを理由に両船の過失を五分五分と主張するが失当である。右裁決は本件衝突の決定的原因(主因)は被告船の操船にあたっていた甲板長古川の過失にあり、両船の船長の過失は共にその一因をなすに止まる旨宣言しており右裁決によるも被告船の過失が原告船の過失に比して著しく大きいことが明らかである。

しかして、過失割合評価決定の参考として重視さるべき裁決主文は、原因裁決であって懲戒裁決ではない。蓋し、懲戒裁決は海技従事者または水先人に対してのみ発せられるものであって、無免許者にいかに重大な過失があっても懲戒処分をなし得ないのみならず、懲戒処分は特別権力関係内における秩序維持の見地から裁量決定されるものであって、必ずしも原因関係だけでなく閲歴その他の情状等の人的主観的要素をも加味し、ときには永年勤続、表彰等の事由によって懲戒処分を免除することもあり得るからである。

本件衝突の如く無資格者に重過失ともいうべき法規違反行為があってしかもそれが衝突の決定的原因をなすと認められる場合、両船船長に対する懲戒裁決のみを基準として両船の過失割合を評価せんとするのは明らかに失当である。

四、損害の発生

脱退原告は、本件事故のためその所有にかかる原告船およびその属具備品等の所有権を喪失し、合計五、二八二、〇〇〇円の損害を蒙った。その内訳は左のとおり。

(一)  船体滅失による損害金、  二、五〇〇、〇〇〇円

原告船は、大分県北海部郡漁業協同組合連合会造船所において金二五、〇〇、〇〇〇円で新造され昭和三三年三月に進水した木造一檣機附帆船であるところ本件衝突により全損に帰した。ただ、同船の登録は既に廃船となっている船の登録を流用して抹消船再開という便法によってなされているが、これは税金その他の費用節約等の便宜のため機帆船新造の際よく行われる例にならったものにすぎず、原告船が新造船であることは前述のとおりである。

そして、機帆船は新造後五年を経過した程度では船価は下落しないものであり、被告の指摘する省令所定の耐用年数は法人税法九条の八第一項に明定されるとおり、法人が所得の計算上損金に算入すべき固定資産の償却額の計算方法を示したものにすぎず、税法上の取扱についての規準ではあるがそれに止まり客観的な船価を定めるについての基準を示すものでないことは明らかである。

(二)  機関滅失による損害金、  一、三五〇、〇〇〇円

原告船備付の機関は、九〇馬力の二連成焼玉機関であり、脱退原告はこれを右新造に際し大分県臼杵市株式会社臼杵大塚鉄工場より金一、三五〇、〇〇〇円で購入して原告船に据え付けたものであるところ、右は本件衝突により全損に帰した。

(三)  備付船具滅失による損害金 一、四三二、〇〇〇円

原告船備付の備品船具類の品名、数量およびその価格は別表のとおりであるところ、右はいずれも本件衝突により全損に帰した。

五、参加人の権利の承継

以上により明らかな如く、脱退原告は被告に対し本件衝突による全損害金五、二八二、〇〇〇円中その十分の八にあたる金四、二二五、六〇〇円の損害賠償債権を取得したものであり、同人は被告に対し右損害金の支払を求めて本訴(昭和三九年(ワ)第六三九五号事件)を提起し係争中のところ、参加人は昭和四〇年三月二日被告に対する右損害賠償請求権を脱退原告より譲受け、脱退原告は昭和四〇年三月二日付内容証明郵便をもって被告に対しその旨通知し該書面はその頃被告に到達した。

よって、参加人は右損害賠償債権の承継人として本訴に参加し、被告に対し右損害金四、二二五、六〇〇円およびこれに対する不法行為の日であり損害発生の日である昭和三八年四月一八日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六、被告の時効の抗弁について、

(一)  時効の中断

脱退原告は、昭和三八年五月六日、被告会社常務取締役兼同支店支店長立石正人に対し本件衝突による損害金の支払を求めその履行を催告したところ、同人は、当時まだ衝突責任が明らかでないから本件衝突に対する海難審判がなされ衝突責任が明らかになるまで待ってほしい旨猶予を求めた。

そこで、原告はこれを了承し請求を猶予していたところ、昭和三九年八月三一日広島海難審判所において本件裁決がなされ右裁決は確定した。

しかるに、被告はその後も右債務を履行しないので、脱退原告は本訴を提起したのであるが、被告は脱退原告の前記催告に対し本件裁決により衝突原因が明らかにされるまで債務の支払の猶予を求めたのであるから、このような場合には脱退原告の前記催告は被告により何分の応答がなされるまでその効力を維持するものと解されるところ、脱退原告は右裁決の日より六ヶ月以内に本訴を提起したのであるから、本訴が右催告の効力の存続期間中に提起されたものであることは明らかであり、これにより時効は中断されている。

被告は脱退原告が前記立石に対し損害賠償の請求をしたことにつき右は裁判外の請求に該当しないというが、原告船が沈没し全損に帰したことは被告の知悉するところであり、また被告は本件衝突が濃霧中狭い水道である釣島水道内において被告船の船長が当時法規に違反し自ら操船の指揮をとらず無免許の甲板長が操船にあたり過大な速力で航行中に発生したものであり、したがって被告船に過失があり被告において本件衝突により脱退原告に生じた損害のうちある割合分を賠償する責任がありそれは保険会社が填補すると考えていたことは明らかである。それなればこそ右立石は、脱退原告に対し被告船に保険をつけてあるから海難審判をまってもらいたい旨申出ているのである。被告船側が無責であると信じている場合とか有責であっても賠償に応じないつもりの場合には、ただ拒絶するだけであって保険や海難審判につき云々する筈はない。右立石は明らかに被告に賠償責任のあることを認め脱退原告の要求が賠償金の支払の請求であることを充分認識したうえで前記の如き申出をしたものである。

(二)  信義則違反

仮りに、そうでないとしても、被告の時効援用は信義則上許されない。

我国海運社会においては、船舶の衝突による損害賠償の処理に関しその責任割合の判定は、特別の事情がない限り当該衝突事件の海難審判裁決の主文を基準としてなされるのが古くよりの商慣習である。したがって、消滅時効期間経過前に被告船側の請求に対し衝突加害船側で海難審判の裁決があるまで待ってもらいたい旨猶予を乞うた場合、被害船側としては将来当該衝突事件の審判裁決が発せられた時は、加害船側において裁決主文に掲げられた責任割合を基準として任意の賠償に応ずるものと期待、信頼し裁決があるまでは時効中断のための訴提起等の処置に出ることを差し控えることは加害船側の信実を確認し我国海難社会における商慣習を尊重する誠実な態度であり、何ら権利のうえに眠るものではない。被告の消滅時効の援用は被告の猶予の申出を信実なりと信頼していた原告の一途な期待を裏切るまことに不誠実な主張であり、信義則上許されない。

(三)  時効利益の放棄

仮りに、右主張が理由がないとしても、被告は昭和三九年一〇月三日、保険会社と相談のうえ脱退原告に対し、本件損害賠償債権は、本来、時効により消滅しているものであるが見舞金として金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払う旨申出ている。この事実は、被告において時効の完成を知りながら脱退原告に対する本件衝突による損害賠償義務を承認したうえで一部の弁済を申出たものであって、時効利益の放棄に該当する。被告は右一、〇〇〇、〇〇〇円を見舞金というが保険者は法律上の賠償責任のみを填補するものであって、贈与その他社会生活上の徳義に基く金銭の支払については無関係である。被告はわざわざ保険会社に相談してその承認を得たのであるから、名目は見舞金であっても、それは明らかに損害賠償金である。

七、和解の不成立

脱退原告が被告主張の如き和解に応じた事実はない。脱退原告は本件衝突事件の海難審判裁決が発せられるや、直ちに九州から上阪し前記立石や被告船の保険者たる同和火災海上保険株式会社(以下、同和火災と略す)の査定担当者川原次長をまじえ示談交渉に入ったが、被告が本件衝突の責任割合を五分五分と強く主張したため賠償額がきまらなかった。しかし、脱退原告は自己所有の居宅その他の不動産一切を差押られその競売期日が昭和三九年一〇月五日と定められ窮迫しているので右期日に間に合うよう賠償金の支払をされたい旨呉々も懇請したところ、右立石や川原次長らは善処を約し同一〇月三日再び面談することを約して別れた。そこで、脱退原告は一〇月三日(土曜日)被告会社を訪問したところ、右立石は言を左右にして賠償金の支払に応ぜず、遂に正午を過ぎて一〇月五日の競売日に債権者に対し債務金を弁済できないことが確定したので脱退原告は右立石に対しあまりの不誠実さをなじったところ、同人が金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払う旨申出たので示談金額については再度交渉することとし、とりあえず、自宅等不動産の競売期日の延期方を債権者に懇請するためには一〇月五日までに債権者に会って確実に債務を弁済できるという証拠を示す必要があると思い、この旨強く要請した結果右立石が自ら起案作成した念書を脱退原告に交付したもので同人はこれを受領して一旦帰宅したのである。脱退原告は、本件衝突による損害賠償を金一、〇〇〇、〇〇〇円として示談解決する意思は毛頭なく、また、右念書の行使の目的は右立石も知悉しており、右念書を異議なく受領したからといって被告主張の如き和解が成立したといわれる理由はない。

(被告)

一、本件衝突までの両船の運航状況

争う。

二、被告船の運航上の過失

否認する。

三、双方の過失割合

仮りに、被告船にも過失ありとしても双方の過失割合は五分と五分である。両船の過失を比較するに、原告船の速度が毎時二ないし三海里であるのに被告船の速力は毎時五海里であるが、両船とも成規の間隔で霧中信号を行っていなかったものであり、原告船にはみだりに変針した過失がある。尤も、被告船において船長自らが操船にあたっていなかったことは事実であるが、航法上の過失としては間接的な問題であり、現に本件裁決においては両船船長に対し共に戒告の処分がなされているのであるから、現実の操船上の衝突原因としての過失は、五分五分と評価さるべきである。

四、損害の発生

原告主張の損害額はいずれも過大なものであり失当である。

(一)  船体滅失による損害

原告船は、昭和一四年三月進水の県の漁業指導船を昭和三三年三月に大改造したものであり新造船ではない。このことは、同船の国籍証書には昭和一四年進水となっており、昭和三三年三月一日抹消船再開による第一回の定期検査を受けていることから明らかである。

そして、原告船の船体、機関、船具類はすべて本件衝突時までに減価していることは自明の事であり、衝突時の時価は参加人主張の価額をはるかに下廻るものといわなければならない。ちなみに、法人税法九条の八第一項に基く昭和三六年蔵令第二一号によれば昭和二四年以前進水の木造船の耐用年数は六年、昭和二五年以後の木造船の耐用年数は一〇年と定められており、これによれば原告船が昭和三三年に新造されたとしても五年を経過した衝突時には半額に減価しているといえる。

(二)  機関滅失による損害金

原告船の焼玉機関は中古品であるところ、参加人の主張によると一馬力当り一五、〇〇〇円となるが、中古焼玉機関の使用可能品価格は、通常、一馬力当り六、〇〇〇円ないし八、〇〇〇円であり据付てから五年も経過した本件衝突時には、更にボーリングするか別に購入するかしなければならない状態であった筈であるから、その価格は少くとも参加人主張額の五割方安く見積らるべきである。

五、参加人の権利の承継

不知。

六、消滅時効の完成

仮りに、脱退原告が参加人主張の如く損害賠償請求権を取得していたとしても、船舶の衝突により生じた債権は商法七九八条所定の一年の短期時効により消滅すべきところ、脱退原告が本訴を提起した昭和三九年一二月二四日には、すでに本件衝突時たる昭和三八年四月一八日より一年を経過しているから、右債権は時効により消滅しているので被告は本訴においてこれを援用する。

七、参加人の時効に関する再抗弁について

(一)  時効中断の不成立

被告会社下関支店長たる立石正人が昭和三八年五月初頃、右支店を訪れた脱退原告と面談したことはあるが、その際脱退原告からは衝突原因ないし被告の賠償責任についての発言は全くなく、損害額もいわず資料も提出しないで、ただ原告船沈没のため生活に困るので何とかしてほしい旨懇請していたにすぎず、本件衝突による損害の賠償を請求していたものではない。当時、被告会社としては、被告船には本件衝突の責任はなく賠償義務もないと考えていたので、右立石において本件衝突についてはその原因が不明であり海難審判もいまだ始っていない現段階では如何ともし難い旨答えてこれを拒否したのである。右のとおり脱退原告の要求は本件衝突による損害賠償についての裁判外の請求に該当しないし被告が猶予を乞うたこともない。したがって、これを前提とする参加人の主張は失当である。

仮りに、衝突事故発生の場合、衝突責任不分明の間に一方が損害賠償の請求をし他方が海難審判の裁決がでてから話合おうと回答したとしても、右回答は拒否の一態様であって右裁決ができるまで時効の進行を停止させるものとはいえない。なぜなれば、すべての海難事故について海難審判が開始されるものではなく、また、海難審判の裁決により衝突責任が解明され尽すとは限らず、右の如き回答は公的な衝突原因の解明が全くない時期における拒絶のために使用される言葉であり時効の進行の停止を予想させるが如き重要な意味を有するものではないからである。したがって、一般には、話合があっても当事者双方とも時効中断の措置をとっているのが実情であり、(後記(二)参照)、また、当事者間で海難審判裁決まで時効の進行を停止せしめることは期限を限ってではあるがあらかじめ時効の利益を放棄することである。しかし、時効の利益をあらかじめ放棄することは許されないところであり、その法意からしても海難審判まで時効の進行は停止すると解することは許さない。海難審判の如き行政機関の決定があるまでまってほしいというのは、現時点においては責任について見解が対立しているが、将来のある時期に妥協し得ることを予想してその時期において話合おうというのであり、信義則よりみても催告の効力を存続せしめる必要は認められない。回答者側より相手方に対し時効中断手続をなさなくてもよいと信頼させる行為は全くないからである。

(二)  信義則違反の不存在

参加人主張の如き商慣習は存在しないし被告が猶予を乞うた事実もない。

一般に船舶衝突事故発生の場合、一方が他方に対し訴訟外で損害賠償請求の交渉をなすことはよくあることであるが、事故の原因、責任、損害額等が判然としない時期においては、要求を受けた側は拒否するのが通例でありまた当然のことである。海上の衝突事故による損害賠償請求においては、海の上のことで衝突に至る両船の行動の痕跡は物的証拠殆んどなく、ために双方とも自己の航法の正当を信じ主張するのが常であってどちらかがその責任を逃れざるものと観念する迄は争いが続く。そして、損害賠償責任負担の結論のでるのは、海難審判第一審裁決が出た後示談解決することもあるが、二審裁決更には民事訴訟の結果を待たなければならないことが多いのである。かように争が長びくのに対し商法七九八条は一年の短期時効を定めているので、我海運社会においては交渉の有無に拘らず時効中断催告、裁判上の請求等権利保全の手続をとっておくのが実態である。

しかるに、脱退原告は何ら右の如き手続をとっておらず、自らなすべきことをなさずして、何らの作為をしていない被告を不信義よばわりすることは許されない。

八、和解契約の成立

仮りに、時効の援用が認められないとしても、昭和三九年一〇月三日脱退原告と被告との間には、本件損害賠償について被告より脱退原告に金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払うことにより和解する旨の和解契約が成立している。したがって、被告が本件衝突につき右金額以上の債務を負担する理由はない。

脱退原告は、昭和三九年九月一五日および同年一〇月一日の二回にわたり訴外前田快一(海事補佐人)および参加人とともに、被告船の保険者たる同和火災海上保険株式会社を訪れ、同社の鈴木査定課長、川原次長や前記立石らと交渉していたが、その際、右訴外人らは本件衝突による損害賠償請求権はすでに時効により消滅している旨説明したところ、脱退原告はこれについては何ら異議を述べず、ただそこを何とかして貰いたい旨懇請するだけであった。そこで、被告会社側の回答を後日に約したところ、同一〇月三日脱退原告がその回答を求めてきたので、被告は前記保険会社と相談のうえ、脱退原告の損害賠償債権は時効により消滅しているのでこれを支払う必要はないが見舞金として一、〇〇〇、〇〇〇円支払う旨申出たところ、脱退原告はこれを了承し、ここに本件衝突による損害賠償請求に関し金一、〇〇〇、〇〇〇円にて和解が成立した。ただ、当日、脱退原告が帰宅を急いでいたので右趣旨を記載した念書を作成したのみで詳細な示談協定書は後日作成することを約したのであるが、その後脱退原告はこれを無視し右金額の増額を要求し更には本訴請求に及んだものである。

第四、証拠 ≪省略≫

第五、争点に対する判断

一、責任原因

本件衝突時、衝突現場附近には本件両船の航行に影響を及ぼすべき潮流、偏風はなく、霧のため視程は約一〇〇メートル以下に狭められていた。衝突に至るまでの原、被告両船の運航状況は原告主張のとおりであり、被告船には原告主張の如き過失があった。

したがって、被告は、被告船の所有者として本件衝突に関する損害賠償責任を免れない。

(資料、≪証拠の表示省略・以下同≫)

二、損害の発生

脱退原告が本件衝突により蒙った損害は次のとおりと認められる。

(一)  船体滅失による損害 二、五〇〇、〇〇〇円

原告船の船体(木造)は、昭和三三年三月ごろ、大分県北海部郡漁業協同組合連合会造船部で新造せられたものであり、脱退原告はこれを金二、五〇〇、〇〇〇円で買受けたものであるが、本件事故により全損に帰した。

(資料、≪省略≫)

尤も、同船の船舶国籍証書(乙第四号証)には、造船地三重県、造船者市川明、進水の年月昭和一四年三月となっているが、≪証拠省略≫によると、これは税金その他の経費節約等のためすでに廃船となっていた船の登録を原告船の登録として流用したためであることが窺われ、右認定を左右するに足りない。

そして、木造の機帆船の如きは新造後五年位は最も使いやすい状態にあり、必ずしも船価は著しく下落するとは限らないものと推認されるので、被告船の船体滅失による損害は金二、五〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

なお、被告の指摘する省令は、法人の所得税法上、固定資産の減価償却の算定基準を示すものであって、必ずしも当該物件の実際の価値を示すものではないから、右認定の妨げとなるものではない。

(二)  機関滅失による損害 一、〇〇〇、〇〇〇円

原告船据付の焼玉機関は、昭和三三年三月ごろ株式会社臼杵大塚鉄工所において据付られた中古品であり、その代価は一、三五〇、〇〇〇円であったが本件衝突により全損に帰した。しかして、右焼玉機関の如きは各地方により多少その取引価格を異にするが、当時の脱退原告の居住地であり原告船の船籍港(大分県北海部郡佐賀関町)のある大分県臼杵地方での本件衝突時の右焼玉機関の売買価格は金一、〇〇〇、〇〇〇円程度であった。したがって、右機関滅失による損害は金一、〇〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(資料、≪省略≫)

なお、≪証拠省略≫によると、当時の下関港附近における中古焼玉機関(一〇〇馬力程度で使用年数五年ないし七年)の取引価格は一馬力あたり八、〇〇〇円位であったというのであるが、証人四田の供述によると原告船据付の焼玉機関の如き商品は信用、アフターサービス等の関係からその所有者ないし船舶の本拠地において取引されるのが通例であることが窺われるので、本件損害額の算定においても、前認定の如く臼杵地方の取引価格を資料とするのが相当である。

(三)  備付船具滅失による損害 一、四三二、〇〇〇円

参加人主張のとおり。

(資料、≪省略≫)

三、過失相殺

原告船にも濃霧中に成規の霧中信号を行わずかつ安全を確認せずに変針した点に過失の存することは当事者間に争いがない。

しかし、被告船には甲板長および船長の両名に前示の如き過失があり、しかも、直接操船にあたっていた甲板長は、衝突より十数分前すでに原告船が先行しているのを認めその間隔が次第に接近しているのを認識していたものと認められるのであるから、霧のためその船影を見失ったような場合には、特に、これと衝突することのないよう注意すべきであるのに、成規の間隔で霧中信号を行わずかつ一時間約五海里の過大な速力で進航したのであるから、その過失は原告船の過失に比してより重大であるといわねばならない。

したがって、本件衝突には商法七九七条の適用なく民法七二二条の規定により律せらるべきものと解されるところ、右双方の過失のほか両船の船種、性能の相異<原告船は総数約九二の木造機附帆船(焼玉機関、九〇馬力)、被告船は総数約四二五の機船(ディーゼル機関、四三〇馬力)>、衝突の場合の相手船に与える打撃の大小等を比較考慮すれば、本件衝突により原告船に生じた損害のうちその一〇分の八までは被告において負担すべきものと認めるのが相当である。

四、時効の中断

(一)  交渉の経過

本件衝突事故による損害賠償についての脱退原告、被告間の交渉の過程は次のとおりと認められる。

(イ)  被告会社下関支店では、事故直後、被告船の船長からの電話連絡により本件衝突事故発生、原告船沈没の事実を知り、その後同支店支店長兼被告会社常務取締役立石正人および事故関係事務担当者福田次郎は右船長より事情を聴取し、かつ、同人作成の海難報告書により事故の概況を知ったこと

(ロ)  その際、同船長は、相手船たる原告船が霧中信号もせず急に変針した旨強調したが、当時被告船において船長自から操船にあたらず海技免状を有しない甲板長に操船せしめていたことが明らかとなり、同船長自身も被告船に全く過失がなかったとまでは説明しなかったこと

(ハ)  一方、脱退原告は、事故を知って直ちに松山に赴き、原告船船長および乗組員から事故状況を聞き、海難報告書をみたり松山海上保安部で係官の説明をうけたりした結果、被告船に過失ありと判断したこと

(ニ)  そこで、脱退原告は、被告に対し損害の賠償を求めるため、昭和三八年五月六日ごろ被告会社下関支店を訪れ、前記立石および福田の両名に会い、自己の知った本件衝突の状況を話すとともに全損に帰した原告船の損害額を弁償してほしい旨伝え、かつ、窮状を訴えたこと

(ホ)  これに対し、同支店支店長であった立石は、当時においてはいまだ衝突の原因は明らかでなく、いずれ本件衝突については海難審判がおこなわれるであろうからその裁決があるまで待ってほしい旨回答し、裁決の結果責任の所在が明らかになれば被告船には保険もあることであり損害賠償の交渉に応じてもよい旨意向を示したこと

(ヘ)  そこで、脱退原告はこれを了承し、裁決の結果をみたうえで再び交渉するつもりで同店を辞し、海難審判の結果を待ったこと

(ト)  しかるところ、昭和三九年八月三一日、広島地方海難審判庁において本件衝突に関する海難審判の裁決がなされ、右裁決によれば被告船に前示の如き過失の存することが明らかとなったので、脱退原告は、昭和三九年九月一五日、海事補佐人前田快一とともに大阪の被告会社本社を訪れたが、本件事故関係の責任者たる前記立石は不在であったので、同社社員の案内で被告船の保険者たる同和火災を訪れ当時同社の査定主任であった川原昂と面談、損害金の支払につき交渉したところ、同人から本件衝突についてはすでに時効にかかっていることも考えられるがとにかく損害の内容、数額を明らかにする証拠書類を提出するよう求められ、同日は一応海難審判の裁決書を同社に提出して帰宅したこと

(チ)  その後、脱退原告は居住地たる大分県において船体、機関、船具等喪失した物件の価格等を証するための書類を準備して同年一〇月一日再び上阪し、被告会社を訪れ前記立石と合ったが保険会社を除いては話ができないとのことで、同人とともに同和火災に赴き、右書類を提出したが同社の鈴木査定課長から本件衝突に関する損害賠償債権はすでに時効にかかっている旨の説明があったので、脱退原告は、前記下関支店における交渉の結果を話し、かつ自己所有の家屋が差押られ同月五日には競売予定である旨窮状を訴えたところ、同和火災としては船主である被告の了解があれば保険金の支払に応じてもよい旨の意向を示し、後日右保険会社と被告会社が相談のうえ確答することとなったが、同保険会社は、被告会社としてもいくらかの支払には応じてもよい旨の意向をもっているものと判断していたこと

(リ)  脱退原告は、前記競売期日も切迫してきたので、同月三日被告会社を訪れて前記立石に強く回答を求めたところ、同人は右保険会社と連絡、相談のうえ一、〇〇〇、〇〇〇円の限度で支払いに応じてもよい旨回答した。これに対し、脱退原告は、右一、〇〇〇、〇〇〇円で一切を解決する意思は有しなかったが、競売の延期、取下を図るためには債権者に金策の目途がついたことを証する書面が必要であると考え、右立石に対し一、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受けられる旨書面に記載してほしい旨申し入れたところ、同人において文案を起案した念書を作成し脱退原告に交付したこと

(ヌ)  脱退原告は、一且、右念書を受領して同社を辞したが、その後、右念書の文面からは右一、〇〇〇、〇〇〇円で一切解決ずみになったものと解されるおそれがあるものと考えて、結局、右書面を債権者に示すことをとり止め、同月六日ごろ、被告会社を訪れ右一、〇〇〇、〇〇〇円で一切を解決する意思で右書面を受領したものでない旨説明し交渉しようとしたが入れられず、本訴に至ったこと

以上の事実が認められる。

(資料≪省略≫)

(二)  催告と履行の猶予

右認定の事実に照らし按ずるに、脱退原告が昭和三八年五月六日ごろ、被告会社下関支店において前記立石に対し原告船の損害を賠償してほしい旨申入れたことは、たとえ、その際脱退原告において、蒙った損害の数額ないし賠償要求額を明示しなかったとしても、被告のいうように単なる援助の要請とみるべきものではなく、原告船の損害につき賠償請求権を行使すべき意思を明らかにしその履行を請求したものすなわち民法一五三条にいう催告に該当すると解するのが相当である。蓋し、弁論の全趣旨によれば、被告と脱退原告との間には従来より何らの取引関係はなく、本件衝突に基く損害賠償請求以外には脱退原告が被告に対し金員の支払を請求しあるいは援助を求め得るような関係は全くなかったものと認められかつ被告において原告船沈没の事実すなわち損害発生の事実は充分これを承知していた筈だからである。

そこで、進んで、右催告に対する前記立石の応答が、参加人の主張するように右請求に対する猶予を求める趣旨でなされたものであるかあるいは被告の主張するように拒否の一態様と目すべきものであるかの点につき検討するに、被告自身の調査によるも被告船では法規に違反して船長自ら操船にあたらず無資格者たる甲板長に操船せしめていたことはすでに明らかとなり、船長自身被告船が全く無過失だとまでは説明していなかったというのであるから被告船には全く過失がなく賠償責任はないと考えていたという被告の主張および証人立石の供述はとうてい肯認できず、当時被告としては何程かの賠償責任は免れずこれに応ぜざるを得ないと考えていたものと推認するのが相当である。そうだとすると、その後、両者間で解決さるべき最も重要な問題は原告の蒙った損害額の確定とともに両船の過失の程度、度合いいかえれば責任分担の割合の確定にあった筈であり、前記立石が海難審判の裁決がでてから話し合いたいとか、裁決により責任が明らかになれば交渉に応じてもよい旨回答したのは脱退原告の請求に対する拒否の一態様というより、むしろ、海難審判の裁決により被告の責任の存否、割合が明らかになれば損害賠償に応じてもよい旨の意向を示したものすなわち海難審判の結果により被告の責任の存否およびその割合が明確にされるまでの間回答の猶予を求めたものと解するのが相当である。蓋し、前述の如く被告において本件衝突については何程かの責任は免れ難いものと認識していたと認める限り、脱退原告の要求を全く拒否したものと解するよりも、海難審判の裁決により責任の程度が明らかになるまで回答の猶予を求めたものと解するのが、より自然であり、また、それが、誠実な社会人のとるべき態度としてより合理的で妥当なものと考えられるからである。

そして、海難審判が本件の如き船舶の衝突事故につき最初に求めうべき最も公平で客観的な判断であることを考慮すれば被告が右の如く猶予を求めたことは何ら異とするに足らずむしろ自然の成行とも考えられ、一方、脱退原告が海難審判の結果被告の責任が明らかになれば被告において損害賠償の責に任じてくれるものと考えあえて訴訟等の手段に訴えずむしろこれを差控えていたとしても、むしろ、当然であり権利の行使を怠り権利の上に眠っていたものとは云い得ない。

しかして、右の如く前記立石において前出の脱退原告の催告に対し海難審判のあるまで回答の猶予を求めたものと認める限り、少くも海難審判の裁判のあるまでは(尤も、海難審判の行われないことが明らかとなり、あるいは、海難審判の行われる以前に被告から何らかの回答がなされたときは、その時まで)、右脱退原告の催告は継続しているものと解するのが相当であり、脱退原告が本件海難審判のあった昭和三九年八月三一日から六ヶ月以内である同年一二月二四日に本訴を提起したことは本件記録上明らかであるから、これにより本件衝突に関する脱退原告の損害賠償請求権の消滅時効は適法に中断したものといわねばならない。

そうだとすると、被告の時効の抗弁はその余の点の判断に及ぶまでもなく排斥を免れない。

五、和解の不成立

被告は、本件衝突につき被告、脱退原告間において、昭和三九年一〇月三日被告が脱退原告に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円を支払うことにより一切を解決する旨の示談が成立したと主張し、≪証拠省略≫中には右主張にそうものと認め得る記載ないし供述があるが、≪証拠省略≫および弁論の全趣旨によれば、右念書は脱退原告が自から進んで作成を依頼したものであるが、同人がこれを依頼した目的ないし趣旨は参加人主張のとおりであって脱退原告としては金一、〇〇〇、〇〇〇円で一切を解決する意思はもっていなかったことおよび右念書の文言については脱退原告として充分の検討を加えたものではないことが窺われ(前出四の(一)の(リ)(ヌ)参照)、これを考慮すれば≪証拠省略≫はいまだ被告主張の如き合意(示談)を証するに足りず、また、≪証拠省略≫に照らしにわかに採用し難いといわざるを得ず、他にこれを認めさせるに足る証拠はない。したがって被告の右主張も採用し得ない。

六、参加人の権利の承継

参加人主張のとおり。

(資料≪省略≫)

第六、結論

以上によれば、参加人の本訴請求は、前記二の(一)ないし(三)の損害金合計四、九三二、〇〇〇円の十分の八にあたる金三、九四五、六〇〇円およびこれに対する本件不法行為の日である昭和三八年四月一八日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求は失当として棄却を免れない。

なお、訴訟費用の負担については、脱退原告の脱退にかかわらず訴訟状態は維持承継され、かつ、訴訟の経過に照らせば全て被告の負担とするのが相当であるから民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言ならびに同免脱につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 亀井左取 裁判官 上野茂 裁判官今枝孟は転任のため署名捺印できない。裁判長裁判官 亀井左取)

<以下省略>

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